吉野ヶ里遺跡は、「弥生時代後期後半(紀元3世紀頃)」を復元整備対象時期としています。
▼弥生時代前記(紀元前5~前2世紀)
吉野ケ里の丘陵一帯に分散的に村が誕生する。
やがて南側の一面に、人々の環境が整った集落が出現し、村から集落そして、国へと発展する兆しができる。
▼弥生時代中期(紀元前2~紀元1世紀)
南の丘陵をほぼ取り囲む大きな外環壕が作られる。
首長を葬る「墳丘墓」やたくさんの「甕棺墓地」が作られた。
集落が発展し、その集落を外敵から守るための防備が厳重となったことから吉野ケ里周辺では「争い」が激しくなってきたことがわかる。
▼弥生時代後期(紀元1~3世紀)
吉野ケ里は、国内最大級の環壕集落へと発展し、大規模なV字形の外環壕に周囲を防備し、さらに特別な空間である2つの内郭(北内郭・南内郭)を持つように成る。特に北内郭は、大型の建物が建てられ、吉野ヶ里の集落は最盛期を迎える。